関係者様

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____山__崎__通__信_______________2008.6.9__
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┃このままでは日本は食べていけない
┃            〜なぜ日本の農業はダメになってしまったのか
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 前回は、これからの世界経済の変動によって、食料を輸入に頼るこれまでの
 日本経済のあり方は大変危険であることを説明しました。欧州諸国が
 1970年代の米国による大豆の禁輸をきっかけに 食料自給率を高めたのに
 比べて、60年代に6割だった日本の食料自給率は、今では4割を切るところ
 まで低下しました。

 日本に農地が足りないためではありません。度重なる減反政策や耕作放棄や
 裏作の停止で、日本の作付延べ面積は、ピークであった1960年代の半分に
 まで落ちました。

 しかも、このままでは、日本の農業は衰退することが確実です。担い手と
 なる農家の高齢化がさらに進み、後継者が激減するからです。掛け声ばかり
 食料安全保障や自給率向上を訴えても、流れを変える現実の政策はいまだに
 実行されていません。

《高度成長時代の成功体験が衰退の元凶》
 なぜ、日本の農業は衰退を続けるのでしょうか。農業を衰退させてきたの
 は、政治だけではありません。農家の選択、消費者の行動、つまり、
 日本人全体が、農業の衰退に関与しているのです。

 でも、戦後の農業は、高度成長の時代までは非常にうまくいきました。
 ところが、その成功体験に引きずられ、新しい現実に適応することを
 怠っているうちに衰退が始まり、いまだに方向を変えることができない
 のです。

 こうした点において、農業問題は道路問題と実によく似ています。農業と
 道路、国土の根幹を成すこの2つが、21世紀の現実に応じて変わるべき時
 が来たのです。

 それでは、どこから変えるべきなのでしょうか。そんな問題意識から、
 2004年に「『平成の農地改革』で田園からの産業革命を」という論文を
 中央公論(2004年3月号)に書きました。
https://g.blayn.jp/sm/mng/cc/fw.php?i=zackyamazaki&c=3&n=17
 をご覧ください)。
 食料問題が注目を浴びる今、皆さんと一緒に日本が農業大国、食料大国に
 生まれ変わる道を考えてみたいと思います。

《農業大国の可能性を秘めた日本》
 まず、比較論から入りましょう。どうして欧州諸国は日本よりも食料
 自給率が高い国や、食料の輸出量が輸入量を上回る食料輸出国が多く
 あるのでしょうか。日本が条件に恵まれないためではありません。

 土壌と水に恵まれ気候の変化に富む日本は、寒冷でやせた土壌のドイツや
 英国、雨が少ないスペインやイタリア南部よりも恵まれているはずです。
 大雪が降る新潟や秋田でこそ、雪解け水と夏の暑さのおかげで、本来熱帯
 の植物である米がおいしく作られるところに、恵まれた風土と日本人の
 努力の歴史とが現れています。

 欧州の穀物の中心である小麦が、連作が利かず農地当たりの収穫量が
 限られる作物であるのに対して、日本の米は、連作どころか、1年のうち
 で二期作や二毛作も可能な優れた作物です。

 日本の農産物の品質が欧州に劣るためでもありません。それどころか、
 各地の名産牛や豚や鶏、芸術品のように美しくておいしい果物や野菜、
 世界一おいしいと讃えられるお米など、世界に冠たるグルメ国家らしく、
 日本の農産物の品質の素晴らしさは、日本を知る外国人には常識です。

 それなのに、なぜ日本でなく欧州が、農業大国となったのでしょうか。

《農村が経済の成長拠点となった欧州》
 まず、欧州諸国は、自国の農業を伸ばすために大きなコストをかけて
 います。EU(欧州連合)の予算の過半は、農家への大幅な補助金です。

 食糧生産の増加だけでなく、環境保護のためにも、農家への補助金が
 使われています。ドイツやスイスやフランスの美しい田園風景は、
 農家への直接の補助金で守られていると言っていいでしょう。

 しかし、それ以上に大きいのは、欧州では、農業を中心とした田園産業
 と言うべき産業が幅広く発達し、経済の根幹をなすようになったことです。

 ワイン、シャンパン、ブランデー、ウイスキー、チーズ、バルサミコ、
 トリュフ、生ハム、こうした高級な食材の分野で欧州は圧倒的な競争力を
 持っています。伝統的な製造方法に加えて、世界を相手にしたマーケ
 ティングやブランディングによって、ぶどう汁は高価な宝物に変わり、
 田園地帯のレストランやオーベルジュには世界中からお客さんが
 押し寄せます。

 トスカーナやプロバンスの瀟洒なヴィラは目玉が飛び出るような値段で
 取引されます。地元で取れる新鮮な食材にこだわるからこそ、自国民は
 もちろん、世界中の人がお金を落とすようになったのです。その担い手
 の多くは、家族や組合の経営です。米国式の大規模農法一辺倒とは
 違います。

 さらに、欧州では、伝統と歴史のある町並みや村の姿を保存し、美しい
 田園風景を守ってきました。このために、ドイツやイタリア、フランス
 などでは、農村に移り住んで仕事を始める人や近くの都会まで通勤する
 人が増えています。そうした人たちの中から、農家のためにIT(情報技術)
 を使った世界へのマーケティングや技術開発などの担い手も出てきます。
 もちろん、芸術家やお金持ちや引退者で田園暮らしを楽しむ人も多いのです。

 地元でできた作物を食べる、そのための料理や酒が発達する、シェフが
 切磋琢磨する、地元だけでなく、遠く外国からもお客さんが来る、そんな
 好循環は欧州の多くの地域では当たり前です。

 こうして、欧州では、農村と田園地帯こそが経済の一大成長拠点に
 育っていったのです。

《減反と土建業者のために使われた予算》
 ところが、日本では、農業も農村も衰退の一途をたどってきました。
 農業就労人口の約6割を65歳以上の高齢者が占めています。後を継ぐ人が
 いないなどの理由により、耕作を放棄した農地が全国で増えています。

 そして、65歳以上の高齢者が人口の半分を占め、集落としての機能を維持
 するのが困難となっており、このままでは消滅の可能性のある限界集落が
 全国に2000以上もあるというのです。これまで地域で守ってきた森や田畑が
 荒れ、地域の貴重な歴史の財産が消えれば、災害に弱く、人が住めない
 国土が広がります。

 農業予算が足りないのでしょうか。そうではありません。

 1970年代以来日本で一貫して進められてきたのは、まず、減反奨励金という
 食料生産を減らすための政策です。さらに、農業土木の名の下に、農家では
 なく土建業者に多額の予算が配られる政策でした。同じお金でも後ろ向きに
 使ってきたのが日本です。

 農地政策も、現実に合わないまま放置されています。戦後の農地解放の
 目的は、不在地主を作らず農地の所有者は自作農に限られました。このため、
 高齢化し耕作が困難になった農家が激増しても、農地を使う人が足りずに
 耕作放棄地になるところが続出しています。農地の賃貸借などを柔軟に
 しなくてはならないはずですが、全く実現しません。

 さらに、やる気のある農家は農業生産法人などを作って経営の高度化を
 図っていますし、株式会社の参入も認められていますが、貸借対象が
 比較的条件の悪い耕作放棄地に限定されていて、株式会社が直接農地を
 所有することは認められないなど、株式会社側にとっては、まだまだ
 使い勝手が悪いと言われています。

 当時の田中角栄首相が著書『日本列島改造論』の中で、戦後農政の転換を
 うたい、農地法の改正と永久農地の確定による投機の防止、さらに農業への
 株式会社制度の導入などの提案をしたのに、今に至るまで多くが無視されて
 います。結果として、農地が使われずに放置されています。

 そして、日本に定着したのが、「農業はあくまでも副業」という農家が大半、
 という奇妙な形です。これでは農業が衰退するのは当然です。どうして
 こんな奇妙な事態になったのでしょうか。戦後の農業の歴史を追って
 みましょう。

《米の100%自給という目的に向かって走った戦後農政》
 戦後の農地解放によって、日本には大量の小規模な自作農が誕生しました。
 小作人として地主から借りていた農地が自分のものになったのです。

 そして、日本に農業革命が起きました。新しくできた自作農たちを組合員に
 迎えて全国に農協ができました。戦後の食料不足を解消するためには、
 食料、とりわけ米の増産は至上命題となりました。米の値段を政府が決め、
 生産と流通を国家が管理する食糧管理制度(食管制度)がその推進力と
 なりました。

 それまで全国でバラバラに生産されていた農産物を全国規格に統一し、
 農業試験場で開発した品種を全国いっせいに作り、農協を束ねる全国組織を
 通じて全国へ流通させることが始まりました。これによって、日本各地の
 多様な作物の多くが失われました。少品種大量生産の時代の始まりです。

 それと同時に、全国で水資源の開発、農地改良、農地整備、そして機械化と
 農薬や化学肥料の使用が進みました。農協の事業も、農業生産と流通だけで
 なく、農機具や生活用品の販売、貯金と貸し付けと保険事業にまで及びました。

 こうして農業生産、特に米の生産は伸び続け、ついに1960年代末には、米の
 100%自給が達成されました。日本の歴史始まって以来、国民のほとんどが
 銀シャリを毎日腹いっぱい食べられる時代が来たのです。終戦直後に、
 大量餓死の恐怖におびえていたのが夢のようでした。間違いなく、戦後農政
 は目的の達成に成功したのです。

 自作農主義、政府が管理する食管制度に支えられた米作り、そして、農協
 組織が成功の原因でした。

《政治圧力団体と化した農家》
 そして、戦後の経済成長と工業化、都市化につれて、農村から大都会へと
 多くの若者が出ていきました。しかし、子供が出ていっても、多くの農家は
 農地を手放しませんでした。日本の農業が農地の集中によって大規模化する
 ことはなかったのです。大半の農家は1ヘクタール以下の零細な農地しか
 持っていません。それでも、農家の生活水準が大きく向上する時代が来た
 のです。

 それを可能にしたのは、いかにも日本的な複数の要因でした。

 まず、農業は政治化しました。戦後、農業は強い国家統制の下に置かれ
 ました。ことに、米は生産から買い付けまでを国家が決定しました。
 それと同時に、農家も農協を中心に政治圧力団体と化し、高い生産者米価
 での買い取りを要求しました。その結果、消費者米価より生産者米価が
 高いという逆転現象が起きました。

 その差額は政府が埋めていったのです。米農家の利害を代表し、消費者や
 納税者の立場から見れば理不尽な生産者米価を要求する議員たちは、
 ベトコン議員と呼ばれました。米は日本最大の政治商品になったのです。
 かくして日本の米は世界一高いものに押し上げられました。

 生産能力が高まり、米が余るようになると、農家と政治・行政が一緒に
 なっての需給調整が始まりました。減反とその見返りの補助金です。
 これによって、日本の米は価格低下による消費者の支持の可能性を自ら
 閉ざしてしまったのです。

《農業は「不動産管理業」となった》
 公共事業も、農家向けの政治の道具と化しました。道路建設のための
 農地の買い上げは、農家の大きな収入源になりました。大都市周辺では、
 政治力を使って土地の用途指定を変え、宅地や商業地に転用すれば
 大きな売却益が出ました。

 区画整理や農地改良、治水や林道整備などでも莫大な予算が落ちました。
 工事の受け皿としての土建会社の多くを、農家が始めました。農業の
 裏作は土建業とも言われる仕組みができました。そして、農地は土地
 課税や相続税で大幅な優遇を受けられるようになりました。農業が
 次第に不動産管理業の性格を強めたのです。

 米という優れた作物も、農業離れを加速する方向に働きました。野菜や
 果物と違って、米は手間がかからない作物です。機械化によって、
 田植えや稲刈りといった、かつて人手が必要な作業も機械でこなせる
 ようになりました。

 週末だけ手入れしても、結構立派に米が取れるようになったのです。
 そうなると、ウイークデーは会社や工場で働き、週末だけ田んぼの
 面倒を見ても十分になり、農家の本業がサラリーマンに変わって
 いきました。

 半分以上の農家で農業が副業になれば、農協の役割も変わりました。
 農業指導よりも貯金や保険の勧誘をし、洋服や旅行の販売をする方が
 儲かるようになりました。そうなると、農業経営そのものの比重は
 低下しました。農家にしても、しょせん農業収入が年収の一部で
 しかなくなれば、農業に時間と手間を割くこともなくなりました。

《消費者に農村への視線がなくなった》
 消費者も変化しました。ご飯とおかずを各家庭が毎日用意することも
 減りました。子供たちは小さい頃からマクドナルドやケンタッキー
 フライドチキンといったファストフードに親しみ、パスタやステーキが
 当たり前です。純日本食の家庭料理こそ、今では貴重です。

 かつて日本の田園で取れたもので成り立っていた日本の食の材料は、
 今では世界に開かれています。地元で取れたものを地元の八百屋さんで
 買い、家庭で料理するという生活は、東京などの大都市では稀なことに
 なりました。

 大きなスーパーに並ぶものの多くは、日本はおろか世界中から仕入れ
 られます。そのためには、大量に安定して生産されるものが優先され
 ます。一貫して自社生産にこだわるところもありますが、競争が
 激しい外食産業でも、多くの会社は安くて大量仕入れできるものが
 優先されます。

 そこには、消費者にも企業にも、日本の農業や農村や田園との
 つながりをどうやって維持し発展するか、という視点が一部の先進的
 な事例を除けば大きく欠けていました。政府の責任だけにすることも
 できない問題でした。

 かくして、グルメと飽食の時代が始まりました。テレビには食べ歩き
 の番組があふれます。本来であれば、日本の農業の飛躍のチャンスの
 はずでした。優れた日本の食材を使った各国の料理が世界の注目を
 集めたはずでした。

《多くの要因が複雑に絡み合うだけに解決は困難》
 全体として見れば、日本の農業はこうして限りなく多様化する食の
 変化への対応に失敗しました。食糧管理制度に基づいた全国の
 ピラミッド式の農協組織は、消費者は同じものを黙って買う時代には
 大成功しました。反対に、消費者のニーズをつかみ、優れた食材に
 誘導するという創造性を発揮するには不向きな組織です。

 しかし、農業経営の革新は甚だ弱いものでしかありません。農業を
 副業としている農家が組合員の主体である農協の経営改革には限界が
 あるのです。

 こうして見ると、農地解放、高度成長と経済大国、豊かな消費社会、
 そして、戦後民主主義の構造、こうした要因が複雑に絡み合って
 今の日本の農業の衰退を推し進めてきたことが分かります。ですから、
 強い農業を作ることは簡単ではありません。

 ここまででも十分長くなりました。次回は、そんな中でどこから
 変えていけば、日本に強い農業が生まれ、日本の国土と食料の
 安全保障になり、環境も守られるのか、どうすれば農業を核と
 する田園産業を興せるのか、提案いたしましょう。


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