関係者様

秋風が心地よい今日このごろ、お元気でいらっしゃいますでしょうか。

山崎通信読者の皆様にお知らせがございます。
今月初めより、日経ビジネスオンラインに「東奔西走」というコラムの掲載を
始めました。これまで2回コラムの配信をし、いずれの回も読者が選ぶランキ
ングにおいて1位となり、沢山のコメントもお寄せいただきました。
そもそもこのご縁をいただけたのは、これまでの山崎通信に注目してとのこと。
これも一重に山崎通信読者の皆様の日ごろのご支援のおかげと感謝しており
ます。

少々遅くなり申し訳ありませんでしたが、日経ビジネスオンラインに掲載した
コラムを以下『山崎通信』第45号としてお届けいたします。
かなり長い文章となってしまいましたが、最後までお付き合いいただければ
幸いです。皆様のご意見やご感想も是非お寄せいただければと思います。

今後ともご支援賜りますようよろしくお願い致します。

日経ビジネスオンラインへのリンクはこちら↓
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20070925/135843/


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____山__崎__通__信____________2007.10.11_第45号
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┃首相交代の歴史的必然
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《80年代の成功体験から抜けだせない日本は取り残される》
 安倍前首相が突然辞職してしまいました。自民党の新しい総裁が誕生して
 記者会見に臨んだ姿は、気の毒なまでに憔悴しておられました。
 ご回復をお祈りいたします。

 さて、7割近い支持率でスタートし、長期政権になると見られた安倍内閣は、
 1年と持ちませんでした。一方で、短命との見方も多かった小泉内閣は、
 戦後3番目の長期政権になりました。

 政権の寿命を決めるものは何でしょうか。

 結局、その政権が日本にとって必要とされる度合いによるのでしょう。
 小泉元首相が最重要の政策として掲げたのは、巨大な不良債権問題の解決
 でした。そのためには、日本は変わらなくてはいけない。政官業のしがらみ
 や古い慣習、それに乗っかる古い自民党をブッ壊す、と小泉元首相は叫び
 ました。

《空前の利益を上げる大企業だがその裏では…》
 果たして小泉政権が実行したことは、欧米諸国が10年以上前に実施したこと
 と同じでした。財政資金を入れて、大銀行や企業を救済しました。つぶれて
 しまった銀行や企業の損も政府が肩代わりしました。投入された財政資金は
 38兆円にも達したのです。

 これで、ピークの2割にまで下落を続けていた日経平均は救われます。
 2003年4月16日、竹中平蔵・元財務大臣が、りそな銀行への公的資金の導入
 を発表した日に7879円だった日経平均は上昇を始め、小泉首相が退陣した
 2006年9月26日には1万5557円に達していました。

 株主のための経営が当たり前になりました。その分、従業員や系列企業や
 地域の取り分は減りました。人口が減る日本国内に限界を感じた大企業は、
 中国をはじめとした海外を目指し、それを規制緩和が後押ししました。
 従業員を解雇するのも非正社員に置き換えるのも簡単になり、日本の工場を
 閉めて海外に行きやすくなったからです。

 海外に出た大企業は巨額の利益を上げ始めました。トヨタ自動車やキヤノン
 はもちろん、商社、鉄鋼、海運、化学、プラントなど、ついこの間まで構造
 不況と言われた業種でも1000億円以上の利益を上げる企業がザラです。

 大企業のボーナスも東京の消費も法人税収も増え、GDP(国内総生産)も
 プラス成長に戻ってきました。もはや、不良債権問題で日本沈没を心配する
 人はいなくなりました。構造改革で日本経済を救うために小泉政権は必要と
 されたのでした。

 しかし、そこから生まれた影の部分は巨大でした。

 国内経済に対する大企業の見方は変化しました。かつては、松下電器産業の
 創業者である松下幸之助氏に代表されるように、日本人を豊かにすることが
 企業の繁栄の道と信じられました。太平洋ベルト地帯から米国への輸出で
 生み出される富を、「国土の均衡ある発展」を掲げる自民党が土木事業や
 福祉政策の形で全国に配る。地方が豊かになれば企業の製品が売れる。
 一億総中流社会。国民と企業の共存共栄の時代がありました。

《拡大する東京一極集中で日本経済は縮小に向かう》
 そんな時代は終わりました。今や大企業の最大株主である外国人投資家は
 収益のあくなき拡大を求めます。時価総額トップ50社の76%が東京に本社を
 持つ大企業にとっては、縮小する日本経済に魅力はほとんどありません。

 財政負担は重荷です。小さな政府を求めます。地方の土木事業の削減だけ
 ではありません。高齢者が増えれば当然増えるはずの医療や介護の支出まで
 抑えることを要求します。農業や教育への支出も増えません。そうなると、
 製造業の空洞を埋めるはずのサービス産業は伸びません。それどころか、
 リスクを取って進出した新興企業を一罰百戒のように追い出しています。

 かくして日本経済は、海外資金と海外市場に頼る大企業とその周辺だけが
 伸び、それ以外には希望が生まれない構造になってしまいました。それを
 象徴するように、国内向けのビジネスが主体の新興企業の株価は昨年以来の
 下げが止まりません。

 地方では、夕張市以外にも破綻予備軍の自治体が目白押しです。行政
 サービスが低下し仕事がない地方から東京に出てくる人が絶えません。
 「地方の時代」は死語と化しました。

 古い日本が邪魔しているからいけないのだ、と言わんばかりに2年前に小泉
 さんが郵政民営化選挙に踏み切った時、国民もホリエモンも熱狂的に支持し
 ました。しかし、実は小泉改革には日本経済を救う力はなくなっていました。

 むしろ、地方の縮小を加速する力になっていたのでした。その象徴が道路
 公団民営化でした。

 余っているという道路財源を高速道路の借金返済に回して高速道路を無料化
 すれば、財政効率化と地方経済活性化が同時達成されるはずです。ところが、
 民営化と称して世界一高い通行料金を取る公団を温存しました。

 自動車しか主な交通手段がない97%の国土の住民にとっては、高速道路
 無料化によるコスト低減の絶好の機会を奪うことになりました。小泉政権の
 寿命は尽きていたのです。その現実が、次の政権を直撃することになります。

《朝鮮戦争は起こらず、安倍氏の役割終わる》
 わずか1年前に、憲法改正を最大の課題とした安倍政権が誕生しました。
 政権誕生の最大の功労者は、金正日でした。中学生の少女をはじめとした
 多くの日本人を拉致して返さない。麻薬や偽札で稼ぐ。在日朝鮮人から
 貢がせる。

 自らは美女に囲まれ贅沢な生活を送りながら、国民は飢えと抑圧のどん底
 生活を送る。ミサイルをぶっ放すばかりか、核兵器の開発を開始し、米国や
 日本との対決姿勢をあらわにする。

 これほどの悪漢が隣の国にいたとは。このままでは日本は何をされるか
 分からない。国民の怒りが金正日に対して毅然たる姿勢を示してきた
 安倍氏への支持の流れを作りました。

 また、中国からの圧迫感が多くの国民の心に重苦しくのしかかっていたこと
 も、保守外交を掲げた安倍政権誕生を後押ししました。暴虐北朝鮮。急速に
 国力と軍事力を高め、資源や環境問題を起こす共産中国。その2カ国に擦り
 寄る韓国。さらに、強権を発動し軍備拡大を続けるロシア。

 それに対して、日本の頼みは米国だけ。ブッシュ政権こそ、金正日に毅然
 たる姿勢を示してくれるはずだ。しかし、日本も自前の核武装くらい考え
 なくては。これが、1年前の雰囲気でした。安倍総理の憲法改正の主張も
 真剣に受け取られました。

 ところが、ついこの間の参議院選挙では、金正日も憲法改正もどこかに
 行ってしまいました。一体何が起きたのでしょうか。

 どうやら21世紀の朝鮮戦争や共産主義勢力による日米攻撃は起きそうにない
 ことが明らかになったのです。それどころか、日本が頼みとした米国は、
 北朝鮮が核武装を放棄すればテロ国家の指定を解除し、攻撃の対象から外す
 方向を示しました。

 さらに、経済援助まで与えるというのです。これでは、核で脅かした金正日
 の作戦勝ちです。米国は、北朝鮮への制裁や武力行使に反対の中ロ韓の側に
 立っています。

 北朝鮮中ソと米国が戦い、その米国に日本が協力した50年前の朝鮮戦争の
 構図ではありません。朝鮮半島を巡る複雑な情勢分析は、船橋洋一著『ザ・
 ペニンシュラ・クエスチョン』に鮮やかに描かれています。

 核の放棄を条件に、経済援助と世界経済への参加を引き出し米国からの
 安全保障を獲得しようという戦略では、独裁者金正日は、イラクのサダム・
 フセインよりもリビアのカダフィに似ています。かつてパンナム機を爆破し、
 世界一のテロ指導者だった暴れん坊カダフィは、いまや大産油国の元首と
 して欧米の投資を受け入れているからです。

 北朝鮮リスクの低下に成功すれば、今後の6カ国協議は米中ロ3カ国を中心
 として東アジアでの安全保障を話し合う枠組みに変化していくかもしれま
 せん。イラク戦争の後始末やテロとの戦いに忙しい米国、国内の統治が
 最大の課題の中国、資源開発と国内外の権力基盤の強化に忙しいロシア。

 3カ国にとって朝鮮半島で対立することにメリットはありません。北朝鮮が
 管理可能になれば現状維持が望ましくなります。日米同盟を堅持する日本と
 しては、発言力を維持するためにも積極的に関与するしかなくなるでしょう。

 こうして21世紀の朝鮮戦争が幻想に近づくとともに、安倍政権の最大の存在
 理由は失われました。安倍前首相によく似た外交政策をかかげた麻生氏が
 総裁選で急失速し、アジアへの接近を唱える福田氏が優位に立ったのも
 分かります。

《改憲論者の中心だった岸信介元首相》
 安倍前首相がそのDNAを受け継ぐとされた祖父岸信介氏は、1987年に亡く
 なるまで自民党の改憲論者の中心でした。改憲論の根幹は憲法9条の廃止
 でした。目的は、「反共防衛」であり、「反中」「反ソ」でした。

 米国に守られるだけではいけない。真の同盟国として、米国が攻撃された時
 は、日本が米国を守る。日米安保条約は、真に対等な軍事同盟に改正しなく
 てはいけない。本格的な再軍備を行い、核武装も検討すべきだ。この目的を
 達成するために、専守防衛を定めた憲法9条を廃止しなくてはいけない、と
 いうものでした。論旨明快でした。

 かといって、岸信介氏は、明治憲法に返れという復古主義者ではありません
 でした。晩年の岸信介氏は、「戦後の民主主義は間違っていなかったですか」
 と問われて、「間違っていない、これこそ日本の進むべき道だ、と思いまし
 た」と答えているのです(『岸信介証言録』原彬久編、毎日新聞社より)。

 さらに、「国家にとって守るべきものは何か」と問われた岸信介氏は「結局
 煎じ詰めて言えば、守るべきは、人々の自由」と言うのです。国民主権と
 基本的人権という現在の憲法の根幹を肯定しています。

 岸信介氏が想定した対等の軍事同盟は、当然危険を伴います。それによって、
 過去の日本は大戦争に参戦し、また、未曾有の敗戦を経験しました。

 近代日本は、2つの対等の軍事同盟を結びました。1902年に、ロシアに対抗
 するために日英同盟を結びました。当初の条約では、相手国が攻撃された時
 は中立を守る義務があり、後には共に戦う義務がありました。日本が第1次
 大戦に参戦したのは、英国の同盟国として参戦の義務があったからでした。
 1923年に日英同盟は解消されました。

《日独伊の3国同盟がなかったら歴史は変わっていた》
 1940年には、日独伊3国同盟を結びました。3国は、米国から攻撃されたら
 共に戦うことを取り決めました。英米との関係は極端に悪化しました。翌年
 に日本が真珠湾攻撃を行うと、ヒトラーは3国同盟を理由に米国に宣戦布告
 しました。

 これは、欧州征服後のドイツの英本土攻撃に耐えていたチャーチルにとって
 は救いとなりました。それまでは、米大統領のルーズベルトが英国を救いた
 くても、議会の反対によって米国は参戦できなかったのです。

 チャーチルの第2次大戦回顧録には、ルーズベルトに英国を救うために参戦
 することを何度も懇願するやり取りが出てきます。3国同盟後の米国は海外
 植民地の全面放棄など到底日本が呑めない提案をして、日本は真珠湾攻撃を
 敢行しました。

 日本が3国同盟を結ばなかったら、歴史は変わっていたかもしれません。
 現に、ゲルニカの空襲をヒトラーに頼んだスペインの独裁者フランコは、
 ドイツと同盟を結ばず中立を決め込み、おかげでスペインは第2次大戦から
 無傷でした。

 こうしてみると、相互に防衛義務のある対等の軍事同盟は、当然ながら他国
 の戦争に巻き込まれる危険性を持っています。

 かつて、資本主義国と共産主義国は生存を懸けて世界中で戦っていました。
 日本のすぐ隣の朝鮮半島では、1950年に、ソ連に支援された金日成の北朝鮮
 軍が突然38度線を越えて侵略を開始しました。

 後には、毛沢東の中国軍も参戦して韓国軍や米国中心の国連軍と戦い、一時
 米軍は南端の釜山まで押されました。この時代には、共産主義も中国もソ連
 も日本の深刻な脅威でした。岸信介氏が総理になったのは、朝鮮戦争の休戦
 からわずか4年後でした。その後も、ベルリン、東欧、ベトナム、戦火と暴動
 と抑圧が絶えませんでした。

 そんな中でも、日本は憲法9条を廃止せず、安保条約を米国との対等の軍事
 条約にも変えませんでした。それでも、日本が共産主義国家に侵略される
 ことはありませんでした。

 米国の核の傘と圧倒的な軍事力、強化された日本の自衛隊の能力は自衛には
 十分でした。これからは、国連憲章の規定に準じ、単独だけでなく集団での
 自衛権も認めるように憲法9条の解釈の変更を行えば、米国との同盟の強化
 は可能になるでしょう。

《経済では共産主義をとっくに捨てた中国》
 80年代に、共産主義は米国に敗退しました。米国のレーガン大統領が断固
 たる対決姿勢を示して大幅な軍拡を行った時に、ソ連には対抗するだけの
 経済力はありませんでした。91年にソ連邦と共産党は消滅しました。

 毛沢東指導下の中国は50年代末に大躍進政策に失敗して多くの餓死者を出し、
 さらに文化大革命で大混乱しました。しかし、1976年の毛沢東の死後、
 トウ小平が共産主義社会を官僚独裁の資本主義経済に変質させていきました。
 社会主義市場経済と呼ばれました。

 90年代には、トウ小平はさらに踏み込みました。大胆な外資優遇策によって、
 日本企業に押された米国の企業を中国にどんどん呼び込み、米国への輸出で
 ドルを稼ぎ出しました。中国の安い労働力と土地と人民元によって、進出
 した米国企業は大きな利益を得るようになりました。

 中国の成長も始まりました。米国と中国の経済一体化が進み、97年には
 戦略パートナーと呼び合うほどになりました。日本や欧州、アジアの企業も
 追随しました。「米中経済同盟」の時代の始まりでした。

 21世紀になって、米中経済同盟は強化され、それをモデルとするグローバリ
 ゼーションが世界に広がりました。米中経済も、米国向け輸出からより広く
 深い相互依存関係に変わりました。

 中国の国内市場を目がけて、携帯電話やインターネットまで、様々な米国
 企業が進出しました。ウォール街のトップ企業は中国の国有銀行への出資と
 民営化上場の主幹事として中国の金融改革に深くかかわりました。

 一方、中国政府は日本に次ぐ米国国債の買い手になり、買収ファンドの株
 まで買いました。中国社会は米国社会に近づきました。かくして外国の
 音楽や映画も入ってきました。ファッションも自由です。憲法を改正し、
 私有財産と株式会社を認めました。国営企業を民営化し、証券市場を中心に
 情報公開の原則も導入されました。経済の面では、とっくに共産主義を
 放棄しています。

 もちろん、悪い面も拡大しました。貧富の差は拡大し、幹部や企業の腐敗は
 続き、環境汚染は地球への脅威です。しかし、問題の所在を現政府首脳は
 認め、改善の努力を払っています。

 毛沢東時代のように、すべての点で中国は正しく、悪いのはすべて外国とは
 しません。中国は官僚独裁資本主義国家として改善運動中です。そして、
 中国は世界一の外貨準備を持つ資産大国であり、豊かな消費大国に変貌
 しつつあります。人民服と毛沢東手帳と自転車の生活に返りたい中国人は
 稀です。

《暴力よりも技術が世界には必要、求められる日本の役割》
 米国企業は、中国という新たな巨大フロンティアを突破口にグローバル化し、
 収益を急増させました。それが、米国国内で、株式や不動産の上昇と資産
 効果を生み、消費と雇用を増やし、息の長い経済成長を実現しました。

 社会の格差は拡大しましたが、1970年から2000年までの30年間で7400万人も
 増えた国民の平均所得は向上しました。今どき、中国と縁を切って、
 ジャパン・アズ・ナンバーワンに押された80年代に返りたい米国人も稀です。

 インドやベトナムも中国の成長を追いかけました。9・11(米同時多発テロ)
 以降の世界経済は高度成長を続け、99年初めには1バレル10ドル台だった
 石油価格は、最近、80ドルをついに突破してしまいました。中東はもちろん、
 ロシアも巨額の開発資金を得て世界最大のエネルギー大国にのし上がりました。

 もはや、資本主義と共産主義の看板を掲げる米中は、熱い戦争どころか冷戦も
 できなくなりました。かつては戦争が好景気をもたらしました。米国を大恐慌
 から救ったのは第2次世界大戦でした。日本の復興を助けたのは朝鮮戦争でした。

 でも、今米中が対決すれば、世界の株式市場も経済も瞬時に壊滅的な打撃を
 受け、失業者があふれるでしょう。相手国への攻撃は、相手国に進出した自国
 の企業や投資への攻撃と同じことになります。

 米中両国は、お互いが不可欠のパートナーだと知っています。軍拡や資源争い
 や環境や有害商品や言論の自由や抑圧などで様々な非難の応酬をしても、
 本当の喧嘩はできなくなりました。

 戦争と紛争は、東西冷戦から資源を巡るものに変わりました。世界の民主化
 という米国の戦略は、資源国に対しては行き詰まりました。製造業やサービス
 業を主体とする国では、国民の知的レベルや消費の向上なくして経済は向上
 しないことが長期的な民主化への内なる圧力として働きます。

 しかし、巨大な装置産業である石油や天然ガスなどの資源は、少数の支配者に
 よる独占でも生産可能です。富と権力の独占、その裏側の貧富の格差や従属、
 不公平も長期化し、怒りがテロとなって爆発します。

 そこへパレスチナ問題や宗教対立が触媒になって爆発を大きくします。
 その主な矛先が、最大の資源消費国であり、資源国政府と結びついた米国に
 向かいます。
 国民世論を背景にして反米政権が生まれます。こうした事態に対しては、
 ブッシュ政権のような単純な善悪二分法や戦争での解決法は有害です。

 軍事力を警察、諜報機関、外交努力と組み合わせてテロを防止するとともに、
 世界的なレベルでの環境対応と省エネの推進や、最低限の生活レベルの確保に
 向けた努力を続けることが必要になります。核弾頭の数よりも、ナノ
 テクノロジーでの危険物質管理や環境技術やインフラ作りの能力が外交・
 安全保障の交渉力になるわけですから、日本の活躍余地が増えるはずです。

 今や、世界経済の主戦場は、米国から中国になりました。やがてインドが
 加わるでしょう。内外の企業の熾烈な市場獲得競争が始まっています。
 ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた時代の日本は、太平洋ベルト地帯で
 世界中から安い原材料を輸入し優秀な製品を輸出して米国の消費市場を
 制しました。

 しかし、新しい戦場では出遅れています。特に、新興国の成長を取り込む金融
 やIT(情報技術)と情報での遅れは致命的です。日本で上場しようという
 アジア企業は稀です。

 中国やインドへの投資の主役も欧米や産油国です。日本国内でしか通用しない
 携帯電話は、アジアでは見る影もありません。得意の家電や自動車でさえ、
 価格破壊と陳腐化の波に押されています。

 そんな日本を尻目に、米国と英国が新しい世界経済の熾烈な主導権争いを
 繰り広げています。旧大英帝国での歴史的遺産を背景に、ロンドンは
 ニューヨークをしのぐ金融センターになり、香港、シンガポール、ドバイ、
 ドーハなどとの連携を進めます。

 新興国の企業はニューヨークよりもロンドンに上場します。そして、英国の
 地方都市は世界中からの旺盛な直接投資の最大の受け入れ先になりました。
 島国で伝統ある王国、日本に似た英国は92年以降長期にわたり経済成長を
 記録し、1人当たりのGDPは日本を抜きました。

《繁栄している国は地方が活性化している》
 EU(欧州連合)の拡大によって東欧とロシアという新しい経済圏を取り込ん
 だ欧州も長期成長軌道に乗りました。低コストの労働力と新しい市場は、
 欧州の優良企業に大きな成長の機会を与えました。

 ドイツ・フランクフルト株価指数は4年で3倍になりました。企業だけでは
 ありません。世界中の富が、フランスやイタリアのワインやファッションや
 お城、英国やイタリアやドイツの超高級車、パリのアパートやジュネーブの
 豪邸を目指します。ユーロは最高値を更新しました。

 世界的には、グローバル化が経済のローカル化を生んでいます。この常識が
 通用せず、東京一極集中が進むところに日本経済の根本問題があります。

 米国を見れば、80年代のレーガン時代に大企業がコストの高いニューヨーク
 を出ました。今や、ダウ平均を構成する30銘柄のうちニューヨーク市に本社
 があるのはわずかに8社。まして、グーグル、ヤフー、マイクロソフト、シス
 コシステムズ、ウォルマート・ストアーズ、インテルなど、新しい大企業は
 ことごとくニューヨーク以外の地方から世界企業になりました。

 もちろん、地方での経済効果は絶大です。さらに進んだのが、フロリダや
 カリフォルニア、コロラド、ラスベガスに見られるようなリゾートとビジネス
 の一体化です。職楽近接です。都市と村とで人口が分散しているドイツでは、
 田園都市が当たり前です。

 中国やインドでも、地方ごとの発展が見られます。こうして見ると、日本は
 韓国、メキシコ、フィリピン、といった一極集中から抜け出せない国の
 グループに近くなります。多くの発展途上国では一極集中は地方のインフラ
 が整備されないために起こりますが、日本は80年代までの成功体験から抜け
 出せないのが原因です。

 東京一極集中の国土を転換できなければ、日本は世界第2の経済大国の座
 からあっという間にすべり落ちるでしょう。

 これからは、米国はもちろん、中国、インド、東南アジア、ロシア、オース
 トラリア、欧州、イスラム圏…、様々な地域や国家と日本の各地が直接結び
 つくことです。輸出入はもちろん投資も人も相互交流するのです。
 それも、製造業やサービス業だけでなく、食べ物でも観光でも金融でもITで
 も情報でも結びつくことです。

 日本の各地が世界の地域を取り合うくらいの競争にならなければ活力は出て
 きません。そのためには、地方に経済の主権を渡さなくてはいけません。
 高速道路無料化など当然の政策です。

 さらに、外国との航空や海運路線の開設、農地や都市の利用計画、産業への
 助成策、観光政策、リタイアメントの誘致、病院、学校の開設、景観や環境
 の整備、こうしたことは地域が決めることです。財源も人も国から大きく移
 したうえで、地域の責任で経営するという当たり前のことを実行しなければ、
 東京と地方のもたれあいとジリ貧は臨界点に達するだけでしょう。

 経済のグローバル化とローカル化、これに成功したものが日本でも
 21世紀の政治の主導権を握るでしょう。


 ●次号は近日中にお届けいたします。どうぞお楽しみに!

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