Japam Business Press 『東奔西走』
高速道路無料化を拒んでいるのは誰か
国より利権を優先する国交大臣
(2010年4月28日)
民主党の目玉政策であるはずの高速道路無料化を巡る混乱が続いている。前原誠司国土交通大臣と小沢一郎民主党幹事長の対立が報じられ、混乱の原因は小沢幹事長だ、という見方がマスメディアの大勢だ。
マニフェストが破られるのを放置し続けた国交大臣
事実は全く異なる。2003年に、当時の菅直人代表が私の高速道路無料化の提案を民主党のマニフェストに採用し、私を「影の内閣」の国土交通大臣に指名した。それ以来、私は、政権交代からこれまでの経緯をつぶさに見てきたし、高速道路無料化を巡る動きを体験してきた。
今、私にはっきり分かるのは、前原国土交通大臣が、高速道路無料化の予算がマニフェストの6分の1にまで削減されるのを放置してきたということだ。そのため、新しい通行料金は、8割のユーザーにとっては値上げになる。
本四架橋に至っては、JRやフェリーの利益を守るために、副大臣以下がまとめた案に、前原大臣自らが1000円上乗せした。こうした値上げが、地方の有権者の怒りを招き、混乱が始まったのだ。
ここまでの言行から判断すれば、前原大臣は、国土交通大臣というより、運輸族大臣あるいはJR族大臣としか言いようがない。
昨年(2009年)9月、「暮らしのための政治」をマニフェストの最初に掲げて、民主党政権が誕生した。特定の業界や官僚のための「利権政治」や「族議員政治」を脱し、生活者・消費者を重んじる政治に転換する、という民主党に国民は期待したはずだ。
世界一高い高速道路が地方の生活コストを圧迫
その中で、高速道路無料化は、民主党マニフェストの重点政策に挙げられた。「流通コストの引き下げを通じて、生活コストの引き下げを図る」「地域経済を活性化する」「高速道路の出入り口を増設して、今ある社会資本を有効に使う」ことが、マニフェストの中で高速道路の無料化の政策目的として掲げられた。
有効な政策である。交通から見れば、日本の国土の8割は鉄道網が貧弱で、自動車への依存度が9割を超える地域だ。そうした地域では、自動車は贅沢品でなく生活の必需品である。
ところが、1キロ25円という世界一高い通行料金によって、地方の高速道路は毎日の生活には使えない贅沢品になっている。だから、高速道路無料化によって流通コストと生活コストを下げることを民主党が約束したとき、地方では多くの人が期待した。
高速道路無料化の実行へのスケジュールと予算も、マニフェストに明記された。
2010年度に6000億円の予算でスタートする。6000億円の予算があれば、首都圏、京阪神などの「大都市圏」や名神・東名・中央などの「大都市間」を除く、地方の高速道路のほとんどが無料にできる。距離で言えば、高速道路全体の8割になる。
段階的に区間を拡大して、2012年度には1兆3000億円の予算で、首都高速と阪神高速を除く全国の高速道路を無料にすることがマニフェストに明記されていた。
予算編成で早くも無視されたマニフェスト
そして、民主党政権が誕生した。昨年9月16日の組閣直後の記者会見で、前原国土交通大臣は「総理からの指示書の第1項目が高速道路の無料化の実現であり、総理の指示を受けた」と述べた。
鉄道ファンとして有名な前原大臣であっても、総理の指示を守り、マニフェストに掲げた高速道路無料化を実行するだろうと期待したものだった。
しかし、その期待は見事に裏切られた。最初の異変は、予算編成の段階で起きた。
藤井裕久前財務大臣は、就任直後の記者会見で、「一般会計・特別会計合わせて207兆円の予算の中から、7.5兆円の民主党のマニフェストの財源に優先順位をつけることは必ず実行できます」と明言した。自民党予算を削減し、その分で民主党のマニフェストを実現するはずだった。
ところが、不思議なことに、財務省は、短期間での予算削減の有力な手段であるシーリングによる一律の予算カットの方針を示さなかった。すると、自民党予算を削減しない省庁が続出した。
予算削減の優等生だった国交省
結果として、自民党予算の削減による民主党マニフェスト財源の確保というシナリオが崩れ、「マニフェストなんか実行しなくていい」という合唱を招いた。
そんな中にあって、自民党予算を1兆円も大幅に削ったのは国土交通省だけだった。
ところが、財務省は、予算削減の最優等生である国土交通省の最重点政策である高速道路無料化の予算を「6000億円から500億円まで削減する」と通告したのだ。マニフェストの重点項目の中で最大の大幅削減だった。
しかも、野田佳彦財務副大臣は、「無料化の実施は北海道だけでいい」と発言し、馬淵澄夫国土交通副大臣から「どの地域で実施するかを決めるのは国土交通省だ」という抗議を受け撤回した。そして、道路問題を担当する馬淵副大臣を中心とした懸命な折衝によって、ようやく1000億円まで高速道路無料化予算が復活した。
しかし、予算をマニフェストの6000億円から1000億円にまで削られたために、2010年度に高速道路無料化が実施される地域は大幅に削られた。無料化を実施する地域は、距離で言ってマニフェストで約束した全国の8割から、15%程度にまで減らされてしまった。
他人事のように見守っていただけの国交大臣
この間、前原国土交通大臣は、まるで他人事のようであった。今月見られたような猛烈な抗議を総理に対して行うこともなければ、自ら財務省に折衝することもなかった。高速道路無料化の提案者である私から意見やアドバイスを聞くこともなかった。
むしろ、前原大臣が強調したのは、JRやフェリーに対する配慮であった。ほかの交通機関に影響が出ない範囲でしか高速道路無料化は進めない、というのである。
高速道路無料化によって「流通コストの引き下げを通じて、生活コストの引き下げを図る」ことを約束したマニフェストを骨抜きにし、JRやフェリーの利益を守るということである。「暮らしのための政治」はどこかに行ってしまった。
さらに不可解なことが起きた。小沢幹事長を中心として、マニフェストの修正が行われ、ガソリン税の暫定税率が復活し2兆5000億円もの財源が確保されることになった。これだけ、巨額の財源が確保されたのだから、国土交通大臣なら、理不尽に削られた高速道路無料化の財源にその一部を充てるのが筋である。
と言うのも、暫定税率は、自動車ユーザーが負担する税金であり、元々、自動車ユーザーに還元するはずだったからだ。高速道路の無料化は自動車ユーザーにまず利益が及ぶのだから、国土交通大臣としては当然のことだろう。しかも、高速道路ユーザーは、年間2兆5000億円の通行料金のほかにも、ガソリン税など1兆円以上の税金を負担している。
暫定税率の復活こそ好機だったはずなのに・・・
拙著『高速道路無料化―新しい日本のつくり方』(2009年11月、朝日文庫刊)で指摘したように、財源の点からも環境対応の点からも、暫定税率を維持し、高速道路無料化の財源に充てるのが合理的である。
本気でマニフェストを守り、総理からの指示を実行するつもりならば、前原大臣は、この時こそ小沢幹事長と鳩山総理に強硬に申し入れ、せっかく確保した自動車ユーザーからの2兆5000億円の財源から5000億円だけでも、高速道路無料化予算の「復活」のために勝ち取るべきであった。
そうすれば、今年から全国で8割の高速道路が無料になっていた。今の前原対小沢の対決もなかったはずだ。
さらに、暫定税率の財源の中から、地方での公共交通機関の充実や、歩道や自転車道の整備、高速道路上での環境対応車優遇や安全対策を進めることも、国土交通大臣として進めることができたはずだった。高速道路無料化を中心に、バランスの取れた交通体系ができるチャンスだった。
しかし、巨額の財源を前にして、前原大臣は、またしても何のアクションも取らなかった。その後、自民党型の補正予算が当初7兆円組まれ、亀井静香大臣の要求で1兆円増額された時も、前原大臣が高速道路無料化に財源を要求することもなかった。
本四架橋の料金をもっと上げろと迫った国交大臣
さらに、前原大臣は耳を疑う行動に出た。2010年度予算の成立後、わずか1000億円の財源をやりくりして、馬淵副大臣以下が、無料化の範囲とそれ以外の地域の通行料金体系を作って、前原大臣に説明したところ、「本四架橋の料金が安すぎる、もっと上げろ。それでないと、フェリーやJRが困る」と自ら通行料金の上限を1000円も引き上げた。
これによって、例えば、神戸から淡路島を通って徳島まで行けば、橋の料金のほかに2000円の道路の通行料金、合計5000円も取られる。淡路島には鉄道はない。
住民の移動手段は自動車しかない。わずか73キロの橋と高速道路を走るだけで、淡路島の住民は5000円も取られる。その先の四国も、鉄道がほとんどなく、自動車に頼るしかない地域だ。
前原大臣は、淡路島や四国の住民の暮らしよりも、JRやフェリーの経営の方が大事だと言うのだ。「まさかそこまで」私は、それを聞いたときに大きなショックを受けた。
2002年4月、私はゴールドマン・サックス投信の社長を辞めて、徳島県知事選挙に立候補し、そこから、高速道路無料化からの地方経済の再生を訴えてきた。
かつて住んだカリフォルニアでは、電車がなくてもフリーウェイで十分に経済が発展していた。よく訪れたドイツでは、無料の高速道路を中心に鉄道・歩道・自転車道を整備し環境対応を進め、豊かで人間中心の社会を築いていた。
四国の企業を活性化するための無料化だったはずが・・・
その経験から見て、地域の住民が払えない高い通行料金を取り続けていた日本の高速道路は異常だった。私のルーツの地である高知がある四国にかかる本四架橋は、バカ高い料金で住民を門前払いする関所としか思えなかった。
私が高速道路無料化の行動を起こした8年前は、日本のトップメーカーが次々と中国に工場を移し始めた頃だった。このままでは、早晩、東京から神戸までの太平洋ベルト地帯に日本全国が頼れなくなる時代が来る。地域で自立する経済をつくらなくては立ち行かなくなる。
その第一歩が、地方の交通コストを下げることであり、そのために最も有効なのが高速道路の無料化だ。
交通コストが下がれば、土地が安く自然に恵まれた地方の国土が生かされるようになり、観光や農林水産業、介護・健康・医療、教育・研究開発、環境などの新しい産業が発達してポスト工業化の経済成長が始まるはずだ。
つまり、東京湾にかかるアクアラインの向こうの木更津の立派な宅地が1平方メートル当たり約3万5000円であるように、日本の大半の国土が大都市部に比べて極端に安いことが、これからの地方経済のコスト競争力と成長の基盤を生むはずなのである。
対照的な馬渕澄夫副大臣の熱意
こうした私の考えは、民主党のマニフェストに盛り込まれ、高速道路の無料化によって「流通コストの引き下げを通じて、生活コストの引き下げを図る」「地域経済を活性化する」ことがうたわれ、さらに、「高速道路の出入り口を増設して、今ある社会資本を有効に使う」ことによって、既存の道路全体が便利になり輸送力が増して無駄な道路造りが減るはずでもあった。
私はこうした思いを、「高速道路無料化をやらせてほしい」と申し出た馬淵議員に託した。馬淵議員は、横浜国立大学で都市工学を学び、戦後日本のいびつな過密と過疎の問題の多くが交通問題であり土地問題であること、日本の地方が自立し経済全体が成長するためには高速道路の無料化から国土と交通の再設計をする必要があることを熟知していた。
戦後の日本の経済システムの設計者であった田中角栄の政策や答弁をすべて読み、それを超える新しい国土交通システムを構想していた。30代で上場企業の役員まで務めたことから、経済の実態も知っている。そして、耐震偽装問題、道路問題と、期待に違わない活躍を示した。新政権の国土交通大臣の呼び声も高かった。
しかし、政策力だけで馬淵議員に託したくなったのではない。6人の子供の父親であり、夫婦双方の両親を引き取って暮らしていると聞いた。
「最初の選挙に落ちた時が苦しかった」と言う。ひもじがる子供たちに「おじいちゃん、おばあちゃんのご飯が先だよ」と教えたら、ちゃんと子供たちが分かってくれたと嬉しそうに語った。
上司を立て続けて自らは補佐役に徹した
そんな生活の中でも、企業や団体の献金は受け取らない。民主党と自分を理解して支えてくれる個人の献金だけで政治活動をやっていくことを今に至るまで貫いている。
地方のため、国民の生活のために、この人ならやってくれるだろう、そう思って馬淵議員を信頼したのを昨日のことのように思い出す。
しかし、馬淵氏は副大臣として道路問題を担当してから苦労の連続だ。高速道路無料化の縮小に一生懸命な前原大臣に仕えながら、マニフェストの約束を守るために予算の復活折衝を行った。その少ない予算の中から、なんとか満遍なく、全国に散らばせて無料化の地域を確保してきた。
そんな中でも感心したのは、上司に仕える姿勢である。自分はできるだけ表に出ずに大臣を立て、その陰で整合性のある案を模索し続けた。マニフェストの提案者として意見を言う私に対しては、「山崎さんは黙っていてください。まとまるものもまとまらなくなります」とまで言った。
前原大臣が、国民との約束を半ば公然と裏切り、総理の指示を骨抜きにしながら、その結果生まれた混乱を人のせいにするのとは、雲泥の差と言ってもよい。
ドイツと米国の例に学べないのか
だが、限界に来たのではないだろうか。
高速道路無料化は最も即効性が高く、乗数効果が高い成長政策だ。自動車ユーザーは全国にいて、高速道路はすでに建設されているからだ。わずか6000億円の予算で10兆円以上の経済効果をもたらすことがケンブリッジ大学のモデルの試算でも明らかである。
歴史上も、無料の高速道路の経済効果は、既に実証されている。最初に実行した戦前のドイツでは、失業者を600万人から30万人に減らした。それに学んで戦後に実行した米国では、1950~60年代のGDPを年率3%押し上げ、地方への経済分散を一気に進めた。
今ほど、日本が単なる成長以上に地方中心の新しい経済、実は豊かな国土と人材をフルに活用した新しい経済を求めている時はない。
もし、民主党政権が、高速道路無料化を葬り去り、高い通行料金を取り続けるならば、私が2002年に予言したように、そうした政権は、地方を中心に、国民の支持を失うであろう。
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