山崎養世について
山崎養世のミッション【1】
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“皇太子・百恵”世代のわたしたちにできることとは?

わたしは、皇太子さまの一学年上、山口百恵さんとは同学年の世代です。戦後の日本をリードしてきた「団塊世代」のちょうど10年下にあたり、先輩・上司・数々のリーダーを通して団塊の人びとの影響をうけてきました。しかし、彼らも間もなく企業では定年を迎え、大半の人は社会の第一線からはリタイヤします。いま、企業では部課長にあるミドル世代がわたしたちの世代です。団塊層の“岩盤”が崩れ去ることで、40代の我々は否応なしに社会に対して責任と自覚をもって振る舞うことが求められます。

バブル経済の崩壊から14年があっという間にたちました。日本は“根腐れ”を起こし、自信を回復できないまま、静かな「終わり」のときを待っているかのようです。この夏、ロー・ティーンの子どもたちが起こした様々な事件は、日本の“文明病”が限界に近づいてきた証しといえるかもしれません。子どもたちは表面上は無表情で、こころの底に大きな“闇”を抱えたまま、いらだちをぶつけてきています。

彼らの親が、まさにわたしたちの世代です。
「会社の仕事がつまらないのなら、さっさと辞めて好きな釣り宿でも、ラーメン屋でもやってみればいいじゃないか」
「いい学校に入って、いい企業に行けというけど、それって、いかにも古臭い昭和ヒトケタのおじいちゃんたちの押しつけだったんじゃない?」

「情報」という薄紙で武装した子どもたちの嘲笑が聞こえてきそうです。 わたしたちがやるべきことは、

“不条理な社会のシステムには、おかしいとはっきり声を上げること”
“自分の保身のためではなく、公=おおやけのために果敢に行動すること”
“他人に依存しないで、自主・独立の信念をもって、地域や職場をひとつひとつ改善すること”


ではないでしょうか。このことは、こころあるみなさんなら、既に気づいていることであり、“そうしたいんだが、いまひとつ、ふんぎりがつかなくってね”といった気分が世の中を支配しています。
近代の日本~150年間の歴史から学び取れること

2003年の今年は、ペリーの黒船艦隊が浦賀沖に来航した1853年からちょうど150年目の年です。明治維新はペリー来航から14年で成し遂げられました。
「外国に占領されて欧米の植民地にならないために、270の地方政権をひとつの国にして開国~近代化を進めなければならない」
こうした国家戦略、あるいは大義に対しては、古い価値観を守ろうとする人びとはあっけないほど無力でした。明治国家は、多くの遺産を国民にもたらしましたが、終末は悲惨でした。政党政治が骨抜きにされて、満州事変から太平洋戦争に破れ、日本は連合軍に占領されます。このときの指導者たちの大義は何だったのでしょう。民主主義に基づく国際協調を重視する意見は暴力で抑えつけられ、一部の軍人や政治家が自分たちの野心や名誉欲を“国策”に仕立て上げて情勢判断を大きく誤りました。

今年はバブルが崩壊してから14年目に当たります。構造改革、第三の開国などと叫ばれながら、明治維新に比べれば何も変わっていないのがこの14年ではないでしょうか。なぜ変われないのか。
それは国民に「これを変えれば日本が良い方向に変わっていく」という、明るい希望を持たせるビジョンが示されなかったからです。
高速道路の無料化は、そのための大きなきっかけです。過密と過疎の格差を縮小し、高齢化社会の進行、中国の台頭にも対応できる日本にできます。何よりも初めて生活者が豊かになる日本を作る静かな改革を起こすのです。
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