この20年間、わたしは金融の世界で日本経済を良くして、社会の役に立っていこうと、仕事に情熱を傾けてきました。年々、思いが深まったことは、「日本はもはや、金融や経済の問題だけを解決すれば済むというレベルではなくなった。普通のサラリーマンが、おかしいと思ったことに対しては声を上げ、東京にカネと権限を取り上げられた地方の人びとは、自らの手にそれらを取り戻すべきだ」という一点です。
わたしは、「日本列島快走論」をまとめたことを契機に言論活動に本腰を入れる決意を固めました。大都市圏、それも東京にヒト・モノ・カネ・情報を集めて資本を高速回転させ、経済成長を続けていこうという「国のかたち」は、田中角栄氏が1970年代に「日本列島改造論」を発表した時に頂点を迎えました。「カイソウ(快走)」と「カイゾウ(改造)」のたった濁点ひとつの違いですが、その効果は180度違います。過密と過疎の解消を唱えた「改造論」が実際にもたらしたのは、政治家と現業官庁、土建業者が国土を切り刻み、いまや国土のわずか3%に全体の3分の2の国民がひしめきあって住んでいる日本です。ということは、国土の97%は過疎なのです。
ここまできたら、日本人の一人ひとりが「こころの内にある田中角栄的なモノ」を乗り越えるしかありません。経済・社会活動が停滞し、子どもとお年寄りが各地で悲鳴を上げています。このままではこころが荒廃し、豊かな創造性など生まれるはずもありません。いまの日本の危機の正体とは、金融や経済システムの危機などではなく、“文化の危機”であり、“こころの危機”なのです。 |