山﨑 養世の世界と日本
発表論文

Japam Business Press 『東奔西走』

敗戦直後、真っ暗闇の日本経済今こそ危機をバネに新成長路線への転換を
(2010年3月23日)



昨年、60年ぶりの本格的な政権交代を経て民主党政権が誕生した。

そして今、新政権の方針を示すべき最初の予算が国会で審議されている。しかし、実際は、国会の議論のほとんどは「政治とカネ」の問題に費やされ、肝心の財政や経済の今後の方向については、野党もマスコミもほとんど関心がないようである。このままでは、本質的な議論を経ることなく、予算審議は終わってしまいそうだ。それでいいのだろうか。

敗戦直後の日本経済

よく見れば、今の日本経済は敗戦直後としか言いようがない。国民の暮らしは追い詰められ、政府の財政は戦後最悪の状態に置かれている。頼みのはずの大企業の世界での競争力は急速に低下している。これまで積み上げた世界一の対外資産は、国民の将来の安心にも日本経済の成長にもほとんど役に立っていない。

経済政策の失敗によって、日本は1990年代以降の世界経済の構造変化への適応に失敗したからだ。そして、この経済敗戦こそが、戦後の組合運動や学生運動や社会主義への路線闘争でも倒れなかった自民党政権を終わらせたのだ。

経済敗戦を最も明確に示すのは財政だ。民主党は、マニフェストの財源を捻出できない、と批判されている。

確かに、1月に辞任した藤井裕久前財務大臣は、就任直後に「207兆円に上る一般会計と特別会計の中から、マニフェストの7.5兆円の優先順位をつけるのは必ずできる、実行する」と言いながら、全省庁へのシーリング(5%のシーリングなら10兆円確保できる計算である)での財源確保もせず、一方で、旧来の補正予算を8兆円も組むというチグハグな財政運営を行った。

しかも、補正予算の規模は、連立政権に参加する大臣の一声で1兆円増えたという。

100兆円のはずの税収がわずか37兆円

しかし、財政危機の本質は、民主党が支出を削れないことではない。日本の税収が恐るべきレベルにまで低下したことだ。今年度の一般税収は、37兆円に過ぎない。20年前の1990年度の一般税収が60兆円だったから、それを4割も下回る。

しかも、1990年当時の大蔵省は、高齢化が進む2010年頃には財政支出が増大するが、経済成長によって2010年頃の税収は100兆円まで増加し、増大する支出を賄うという長期財政シナリオを描いていた。

その見通し通り、高齢化の進行により年金や医療などの財政支出は増大し、来年度の財政支出規模は100兆円に迫る。ところが、税収の方は、20年前の見通しの3分の1しかない。そのために、1946年の敗戦直後以来初めて、国債の発行が一般税収を上回ることになったのだ。まさに、日本の財政は敗戦直後なのだ。

この経済敗戦によって、世界の近代史にも稀な、経済成長と所得・生活格差の縮小を両立させた戦後自民党の「一億総中流社会」は崩壊し、「国土の均衡ある発展」は不可能になった。さらに、日本経済を再生するはずだった小泉・竹中改革は、経済敗戦を加速してしまった。

日本に必要なのは戦後復興

だからこそ、住民も自治体もいっそう追い詰められた地方の選挙区を中心に、自民党への不満が、雪崩のような政権交代を生んだのだ。

経済敗戦をもたらした最大の原因は、官僚主導の政治ではない。まして、民主党政権が自民党よりも多くの「政治とカネ」の問題を抱えているからではないはずだ。

それは、日本株式会社と呼ばれ、今よりはるかに官僚による経済統制が強く、政治とカネの癒着が大っぴらだった1980年代に日本経済がジャパン・アズ・ナンバーワンと言われるほどの成長をしたのを思い出せば、分かることだ。

では、経済敗戦の原因は何か、どうすれば「戦後復興」が可能なのか、そうした本質的で真剣な議論は一向に聞かれない。幅を利かすのは、声高なタレントが仕切る「ワイドショー政治」と、相も変わらぬマスコミや評論家の表層的な論調だ。それに国民は振り回されている。

民主党のマニフェストについての批判も、本質論を欠いている。財源がない、バラマキ、といった十把ひとからげなものでしかない。今が経済敗戦という認識すらないのだから、新しい経済についての展望など望むべくもない。これだけの経済敗戦に直面しながら、その現実を理解しないなら、いよいよ日本は衰弱国家の道をたどるだろう。

小泉改革の中心にいた竹中平蔵氏は、今の日本経済の衰退の原因は「改革」が足りないからだ、と言う。だから、竹中氏は「官から民」と「小さな政府」を徹底し、グローバル化と規制緩和と市場原理を進めれば、企業の収益は向上し、国民の生活は豊かになり、財政は再建される、と言う。果たして、改革は足りなかったのだろうか?

家計の実質可処分所得は10年間で1割減った

企業収益の面から見れば、竹中改革は十分に目的を達成したと言える。アジア危機と金融機関の破綻が相次いだ1998年に20兆円に落ちこんだ日本企業の経常利益は、小泉政権が誕生した2001年から急速に回復し、リーマン・ショックの前の2006年から2007年には史上最高の50兆円台にまで達した。実に2.5倍である。

ところが、その間、国民の所得は低下した。家計の実質可処分所得は、この10年間で1割減った。資産からの所得はそれ以上に落ち込んでいる。給料やボーナスだけではない。

資産からの所得はさらに激減している。もはや常態と化した超低金利によって、国民の利子所得はかつての38兆円以上のピークから4兆円程度にまで低下した。年間所得から貯蓄に回す割合を表す貯蓄率にいたっては、高齢化の進展もあって1981年の18%からわずか2%にまで低下している。貯金をする余裕もないし、貯金しても利子収入はほとんど期待できないのだ。

株式からの収益も期待できない。20年前の80年代末に4万円台目前だった日経平均株価は、今はかろうじて10000円台を維持している。20年かけても4分の1レベルのままだ。国が預かっている国民の年金資産は、2005年の150兆円から2009年には125兆円にまで減っている。

ところが、給料や金融資産からの収入は減っても、住宅ローンなどの国民の借金は減らない。となると、ローンの返済のためには、消費を思い切って切り詰めるしかない。激安消費に拍車がかかる。それが、企業の売り上げを低下させ、雇用と所得が減ってさらに消費が減る悪循環を加速した。

そのうえに、リーマン・ショック後の日銀の金融政策の無策をあざ笑うように1ドル110円台から80円台への円高によって、デフレは長期化し、企業物価は10%も低下し、それが雇用と所得を落ち込ませる悪循環を拡大した。

そして、税収の成長どころか大幅な落ち込みにより、日本の財政は戦後最悪の状態となったことは既に述べた。こうしてみれば、企業が儲かれば、国民は豊かになり、税収が増える、という1980年代までの日本経済の常識や竹中改革のシナリオとは、現実の日本経済は全く逆の動きをしたことが分かる。

国民と政府から企業セクターへ巨大な富の移動が発生

なぜだろうか。答えは単純である。小泉政権下で上昇した企業収益の中身を見れば分かる。

竹中改革プランの46兆円もの国民負担によって、金融機関と企業は、不良債権問題の破綻から救済された。超低金利によって、資金調達コストも低下した。この段階で、国民と政府から企業セクターへの巨大な富の移動が起きたのである。

さらに、決定的だったのは、小泉政権でのグローバリゼーションへの対応と規制緩和である。

21世紀に入ると、欧米やアジアの企業と同様に、日本の大企業の大半は、生産拠点をコストの安い中国を中心とする海外に移した。さらには、販売の中心も、新興国の成長に伴ってアジアにシフトした。

それに伴い、日本企業の海外でのM&Aは21世紀に入って急増した。労働賃金が日本の10分の1以下の中国などに生産を移転することで日本企業の収益は劇的な改善を見せた。しかし、日本企業が生む雇用も税収も、日本国内ではなく海外に流出するようになった。その一方で、コスト競争が世界的に起き、工業製品の価格破壊現象が起きた。

こうなると、大企業は、国内でもコスト低下による収益向上を強力に進めた。コストが高く簡単に解雇できない正社員を減らし、低賃金であり人員の増減が容易にできる非正規社員を増やした。人口減少が続きコストが高い日本国内での生産や雇用は極力抑えることが、海外株主の割合が増えた株式市場の要請に答えることでもあった。

こうして、リーマン・ショック以前には、日本企業の収益は史上最高を記録するまでに急成長したのである(図表2)。それに伴い、日本の対外純資産もこの2001年から現在までに170兆円も増加した。国民1人当たり140万円も増えた計算になる。しかし、そのほとんどは企業の海外での事業の拡大に使われ、日本国内には還流していない。

小泉政権は、こうした大企業の動きを後押しした。政府が関与した強制的な不良債権処理によって、これまでの取引相手や地域との関係を絶ち、工場を海外に移すことは容易になり、規制緩和によって従業員の解雇や非正規社員への切り替えも容易になった。

さらに、高齢化で増えるはずの医療費を毎年削減するなどの「小さな政府」の政策も、国内での負担を減らしたい大企業の意向に一致した。

地方分権のはずが逆に東京一極集中を加速

そのうえで、小泉政権は、東京一極集中を加速した。都市再生本部が作られて大都市の再開発が進んだが、そのほとんどは東京に集中した。三位一体の改革と称して地方に政府の事務の3分の2を移す一方、財源は3分の1しか移譲しなかったから、自治体の財政は一層悪化した。

今では、東京都以外のすべての道府県が地方交付税を受けなくては財政が成り立たない。そのうえで、地方への公共事業を減らしたから、地方経済はいっそう疲弊した。

東京一極集中は、地価にも表れている。例えば、東京都心と鳥取市の中心部との地価の格差は、2000年から2008年の間で16倍から136倍に開いた。首都圏でも都市部とそれ以外の地価の開きは大きい。羽田空港から15キロのアクアラインを渡った木更津市の住宅地の地価は1坪5万円以下にまで下落している。

こうして見ると、小泉・竹中改革は、グローバリゼーションと規制緩和のスローガンの下に、製造業の大企業の「脱日本化」を促進した。もはや、世界の工場は日本から中国に移り、太平洋ベルト地帯は、工業地帯としては空洞化した。雇用も税収も海外に流出するから、企業の全世界での利益が増えても、日本人の所得や政府の税収が減った。

ところが、小泉・竹中改革は、取り残された日本社会の「脱工業化」は進めなかった。新しい成長の方程式も生まなかった。それどころか、東京一極集中と太平洋ベルト地帯中心の国土構造を、一層強化してしまった。大企業の雇用も税収も海外に流出したから、企業の全世界での利益が増えても、残された国民の所得も政府の税収も減った。

太平洋ベルト地帯は米国向けだから成功した

太平洋ベルト地帯中心、米国輸出中心の工業国家というビジネスモデルは、大量生産と効率性を重んじるから多様性がない。いわば、杉ばかり植えた戦後の人工林のようなものである。変化に弱い。

米国に面した太平洋ベルト地帯だけに、米国の消費者が好む製品の工場を集中させ、世界中から安い材料を買ってきて、優秀な日本人が安くて品質の良い製品を作り、流通機構が完備し自由な競争がある米国の消費者が日本製品を買ってくれる。

これは、米国経済という特殊な市場に集中した日本経済のビジネスモデルの成功であった。それが可能だったのも、1980年代までの世界経済の構造が、今とは全く違ったからだ。ソ連や中国やインドやベトナムは資本主義経済のメンバーではなく、ヨーロッパ諸国はバラバラであり、韓国や台湾はまだ発展が十分でなく、原材料は安くていくらでも手に入った、という環境があったからこそ、日本が成功できたのだ。

それから、世界は変化した。生産も消費も、成長の中心は新興国になった。製造業では、かつての米国企業のように、今、世界中で日本企業が押しまくられている。

杉だけの人工林よりも、生物多様性に満ちた自然林の方が強い。生物の世界では、大きいから、頭脳が発達しているから、といって生存できるわけではない。環境の変化を成長要因に変化させなければ、生き残れない。

米国一辺倒でない経済の多様性が求められている

少子高齢化が進むこと、エネルギーや食料を自給自足しなくてはならない時代が来ること、中国やインドで環境問題が深刻なこと、日本の医療が過剰なほどの高度な設備を抱えていること、中国に海外旅行ブームが起きていること・・。

心の不安を抱えた人が多いこと、老後の年金の資産が不安なこと、クリーンテックの技術の4割が日本にあるのに事業化できないこと、農業に後継者が見つからないこと、漁業資源が減っていること、子供が将来きちんとした仕事に就けるか不安なこと・・・。

こうした環境の変化は、すべて経済の成長要因に転化できる。大きな危機があるほど、それを解決しようという強い意志が働き、巨大な資金が動かせるからである。世界経済の参加者が飛躍的に増えたのだから、日本を取り巻く環境の変化も複雑で多様になった。

当たり前になったと言ってもいい。米国だけを見ていればいいという時代が特殊だったのだ。

多様性に富んだ構造に転換すれば、日本経済は復活し成長する。大企業だけでなく、中小企業。企業でさえなく、組合や家族や個人。日本人だけでなく外国人も。

製造業だけでなく、農業も、伝統文化も、サブカルチャーも、観光も、芸術も、工芸も、環境も、学術も、美も、音楽も、病院も、学校も、お寺も、美術館も、癒やしも・・・、もちろん、技術も科学も。

あらゆる職種、あらゆる仕事。お客さんは、国内も、世界中も。

そうした経済多様性は、国土の多様性からしか生まれない。そこに日本経済の最大の成長要素が秘められている。理由についてはまた語ることにしたい。それを理解すれば、高速道路無料化をその一部とする、国土交通政策の抜本的変更が不可欠であることも理解されるだろう。

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