山崎養世の日本復活対談
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石川好 豊かな国の実現へ向け、地方を変え、国をグランドデザインする
「富」の生かし方を知らなかった日本人とその政治 ~ 金融のプロを政治に!
山崎: 私は20年間金融ビジネスをやって、この国は完全に行き詰まったと実感しました。原因は、経済ではなくて政治です。政治が変わらないとこの国は変わらない。政治がなぜ変わらないかというと、結局国の基本的なかたちが変わっていないからなんですね。150年前の日本は300弱の藩による分権国家でした。それがいまでは、国土の3%の土地に全人口の55%の8100万人が住み、97%の土地が過疎です。日本全体が100の村だとすれば、3つの村以外の97村は自力で生きていけない。
地方はあらゆる意味でハンディを背負い、みんな東京に集まる。でも、東京もこれ以上成長しようがない。これが日本の経済成長の行き詰まりの姿です。この間、かつての日本の鏡のように中国が進展してきて、中国経済が成長すればするほど、この日本の限界がはっきり見えてきているにもかかわらず、日本は変われない。
私の結論は、地方が自分で生きていけるような、新しい社会システムをつくらなくてはダメだということです。経済はヒト・モノ・カネの3つの要素から成ります。ヒトとモノの動きの障壁になっているのが、関所になってしまった高速道路です。これをなくして、みんな自由にできるようにしたらどうですか――ということが「日本列島快走論」の柱です。お金の面では、郵政に集まった350兆円がほとんど、地方や中小企業に回っていない。これが民間に行くようになれば、お金も自由に動きます。ヒトとモノとお金が地域の人たちが生きていけるように機能しさえすれば、次の新しい社会に行くことができると思うんです。政治を変えていかないとそれは起きないと考えます。
石川: 私がなぜ、山﨑さんに限らず金融界の人に注目するかというと、結局日本の政治家で金融がわかるプロがいないからなんですよ。いまも数えるほどでしょ。財政のプロはたくさんいますが。1970年代以降、貿易黒字がどんどんたまり、日本の国の富が豊かになったときに、金融のプロが政治家にいなかったことが問題です。財政と金融を同じ大蔵省でやってていて、金融で集まるお金と税金で集まるお金の選別が出来なかったのです。戦後日本人は70年代以降に労働者から消費者になった。これに対する政治はありました。80年代以降になると、日本人はもう一つの顔を持った。それは、投資家としての顔です。国民一人あたり1000万円ぐらい、米ドルで約10万ドルの預金があった。立派な投資家の資格がある。ところがそれを自由に使う仕組みがなかった。お金が貯まる一方で、バブル期に土地に流れてしまい、結局バブルの崩壊を招く。最大の原因は、金融のプロが政界にいなかったことです。
山崎: まったく同感です。例えば高速道路の通行料金の4分の3は金利だと、いまだに語っていないんですね。小泉改革でも猪瀬直樹さんらの民営化推進委員会でも、そこが不満です。小泉さんも猪瀬さんも「特殊法人は問題だ」と認知させたことでは大功績がありますが、その先の一番大きい問題は実は金利だということを語らない。あるいは、わかっていない。金融問題として考えると、あっけないほど簡単です。ゼロ金利のいま、借り替えてしまえばいいのです。
石川: 私は、山﨑さんのような金融のプロ中のプロがなんで日本の政界に入らないんだと、もったいなく思っていますよ (笑)。資本主義というのは、なんで資本主義かというと、金利があるからですよね。それなのに金融がわからなければどうしますか。そこが日本の政治の盲点だったんですよ。日本列島快走論を読んだとき、道路の問題を金融のプロが分析すると、こういうふうになるのかと思ったんです。そこが新しかったですね。
山崎: ありがとうございます (笑)。アメリカはボルカーから金融のプロが経済をみるようになりました。ボルカー、グリーンスパン。これで20年やりました。財政の建て直しを最後にやったルービンは、私のいたゴールドマンサックスの会長です。彼ら実は根っこが同じ人たちです。だから私も、こうすればいいのにと、はっきり見えているのに、日本はなぜやらないのだろうと思い続けていました。
石川: 量は質を変えるわけで、80年代以降の日本にあるのはマネーではない。お金から富に変わったのです。富とお金は違う。その変わり方があまりにドラスティックだったから、誰も使い方がわからなかった。とくに政治家はね。不良債権問題も、地方との格差も、ほとんどそこに問題がある。まだ日本人はお金だと思っているんですよ。日本にあるのは富なんだから、そこに気付かないで政策論争をやっていても意味はない (笑)。
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